2010年07月31日

8月2日~8日第十五回朝霧日本ジャンボリーに参加♪

8月2日~8日第十五回朝霧日本ジャンボリーに参加♪

小生のブース(^^ゞ がアリーナの西の展示ブース会場にて出展致します。

FBDF(富士バイオジーエル)のオレンジののぼりと富士ブランドののぼりが目印です♪

早朝は無料でおかゆ
を配っていますので直ぐ見つけられますよ!

富士市からの出店は小生だけかな?

 完全無農薬有機栽培のお茶をご紹介いたしております。

 水出し茶は絶品ですよ♪ 試飲していただけます。

4年に一度の大イベント!

財団法人ボーイスカウト日本連盟主催の全国・世界から20万人!?が朝霧高原に集結♪

大会サイトは→ http://www.15nj.org/ ←クリック!

第15回日本ジャンボリー(略称:15NJ)
15th Nippon Jamboree

日本ジャンボリーは、日本国内における青少年による最大の国際キャンプ大会であり、昭和31(1956)年の第1回大会から4年を周期に開催しています。

今回の大会では青少年が、世界文化遺産登録を目指す霊峰富士山麓の豊かな自然の中で、キャンプ生活を通じて協調性を養うとともに、様々な活動、とくに環境や健康の諸問題に関するプログラムをとおして持続可能な社会を共に考え行動する機会となるよう開催します。

テーマ

世界に向かって でっかく羽ばたけ!  

会期

平成22(2010)年8月2日(月)〜8日(日)
参加者は8月1日(日)に入場し、9日(月)に退場(8泊9日間)

会場

静岡県富士宮市朝霧高原 サイト概要から引用にて・・



  


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2010年06月21日

ホタルの名所めぐり(富士市から・・)

ホタルの名所めぐり(富士市から・・)

5月末から6月末が見ごろでしょうか?

今年は梅雨入りがおそく、天気予報もあまり当たらず・・降ったり止んだりの中、丁度ホタルの出る時間に止んで、
風も無く、湿度が高いいい感じの時が御座います。

是非、ご家族で静かな夕べをお楽しみください。

以下は、富士市の西部の名所と東部(吉原地区近隣)の名所の2ヶ所を中心に・・・

富士市のほたる名所のご紹介です♡

1 親水公園・鎧ヶ淵

2 岩本山の矢田沢
(参考:お天気屋さんより転載)永源寺の西側、山の斜面

 『岩本山ほたる愛好会』様により大切に守られている天然ホタルです。

A 富士市内でホタルを見られる場所はどこですか?

  富士市内でゲンジボタルを見られる可能性のある場所は以下の4つです。

1.原田公園(園内奥の「えびどう」近く)
2.鎧ヶ渕公園(滝川)
3.かがみ石公園(原田)
4.江尾江川上流(根方街道北側の円照寺近く)

※ホタルの見頃は5月下旬から6月中旬です。

問い合わせ 環境保全課 電話 55−2773 内線2071


尚、もっと全国的に有名な名所でしたら、山梨県の身延山の近く下部温泉の一色は全国的に有名です。


  
タグ :ほたる


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2010年02月02日

川勝知事の施策が・・「ふじのくに」食品展開催!

川勝知事の施策が・・「ふじのくに」食品展開催!

川勝知事の施策が具体的に動き始めています。(^o^)

富国有徳の町つくりへ!

地元生産者・販売者・消費者の交流会!←クリック!

大規模な(グランシップはちと狭い・・(^^ゞ )にて、←クリック!

地元からは・・山平園さま、ちゃの生さま、㈱ゼロワンさま・・ ※特にお茶関係にて・・・

が参加されますよ )^o^( !

※今月5日(金)グランシップ6-7階にて、

 ※午後1時~5時。 地産地消フォーラム・ 展示会・試食・試飲会・交流会(5時以降より)など

「ふじのくに」の農林水産物満載の食品展開催
 温暖な静岡県は、お茶、みかん、わさびなどの農産物に恵まれ、さらに、伊豆半島、駿河湾、浜名湖ではかつお、まぐろ、さくらえびなどの多様な水産物が水揚げされるなど農林水産物の宝庫です。また、食品関連の産業の集積地で、食品と飲料の製造品出荷額の合計は全国一となっています。
 県では、「ふじのくに」の食材を紹介する総合イベントを企画しました。県主催の商取引のための食品展示会は初の試みです。さらに、地産池消の事例や県産品を活用した健康づくりなどについても紹介します。

主催静岡県
開催期日2010年2月5日(金曜日)
開催時間13時00分~17時00分、交流会:17時00分~19時00分
会場静岡県コンベンションアーツセンター グランシップ

1. 総合食品開発展

13時00分~17時00分

120を超える出展
お茶関連(23)、農産品(18)、水産品(19)、健康食品・機能性食品(11)、北海道・熊本・鹿児島からの県外特別出展(13)、ふるさと食品コンクール入賞者(5)、その他地産地消や健康づくりのブースなど
※販売は行いません。商取引のためのイベントです。
会場内では出展企業、団体によるプレゼンテーションを実施します。

2. 地産地消フォーラム

13時00分~15時30分

「地産地消の日」宣言、ふるさと食品コンクール表彰式
パネルディスカッション
地産地消による魅力ある「食ビジネス」の展開
コーディネータ
静岡県立大学学長、フーズ・サイエンスセンター所長 木苗 直秀氏
パネリスト
株式会社静鉄ストアー 代表取締役社長 大吉満 氏
株式会社マルハチ村松 マーケティング部次長 橋詰 昌幸氏
株式会社ヤタロー 取締役・本部長 金原 利男氏
JAとぴあ浜松 営農販売部長 源馬 伸一氏
※1(事前登録が必要です。)

3. 交流会

17時00分~19時00分

静岡県産の農林水産物を使った料理、富士山静岡鍋をご堪能ください。
※2(会費3,000円、事前予約が必要です。)

詳細は、ホームページをご覧ください。(別ウインドウで開きます)
http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-580/syokuhinten02.html



  


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2009年07月04日

21日間の断食祈祷により「報徳思想」の完成。二宮尊徳

当時の最高の賢人・経済人であり、且つ成功者の代表と目されていた二宮尊徳であったが・・

7年間の桜町での歩みは尊徳の最大の挫折期であったそうだ。

しかし、失踪までしたその期間は、尊徳の報徳思想の完成期であったようだ。

艱難辛苦が稀有の偉人「尊徳」たらしめたようだ。  以下にて成田山にて神仏への祈願の件・・・

文政12年、先生43歳、この年の1月、豊田正作などの妨害で桜町の仕法が進まなくなった。
先生は1月4日、江戸に出たきり、数十日間、所在が不明となる。
3月中旬ようやく先生が成田山で断食祈願していることが知られた。
4月8日に祈願が満願に達し、ようやく桜町陣屋に戻った。
この後、仕法が順調に行われるようになる。

報徳記には「下総国(千葉県)成田山におもむき、21日間断食して、上は大久保忠真候の心を安んじ、下は百姓を救うことを祈願し、毎日数回水を浴びて身体を清浄にして、昼夜怠りなく祈念した。21日目の満願の日にその真心が御仏に通じ、大願成就の霊験を得られたという。しかし、尊徳先生は生涯このことを言わなかったので、人々はその詳細を知らなかった」とある。
この間の事情について、調べたのが先生晩年の弟子、岡田淡山で「二宮先生の七大誓願」という著がある。

○文政12年3月先生祈願のことあり。
 千葉県の成田山に参篭して断食し祈願して21日にして感応があった。
物井の村中の人々はこぞってその過ちを悔いて、先生を出迎え、先生の教えにそむくことはないと誓った。
 私(岡田淡山)はかって先生の旧跡を尋ねて諸国を歴訪し、千葉の成田山新勝寺に参詣した。
そして、ある僧侶に面会することができ、親しく先生が断食祈願した当時のことを聞くことができた。
○はじめ、先生は成田山の門前の小川屋(先生が参篭された当時は「佐久良屋」といい、現在は信徒会館となっており、先生がここに泊まられた旨の立て札が立っている)に来てこう言った。
「余は心願のことがあって、成田山に断食祈誓しようと欲する者だ。
宿を借りたい」
宿の主は「どうぞ」といったん諾したが、
先生の容貌がただならぬことをいぶかって、住所と氏名を聞いた。
「余は小田原藩士である」と先生は答え、持ち金を預けようとした。
主は容貌がはなはだ立派なのに、衣服はひどく粗末、しかも大金を持っていることに驚いて、やっかいな事にまきこまれてはかなわないと思い、
宿に泊めるのを断ろうとした。
すると先生は大声で叱り飛ばして言った。
「いったん諾した後で断るとはなにごとか。
 余は心願があってここに来たって参篭しようとする者である。
 いったい何を疑おうとするのか」
その目の光は人を射るほどであった。
主は恐れおののいて先生に謝って、宿泊させたが、安心できないため、江戸の小田原藩邸に人をやって確かめさせた。
小田原藩邸の者は、「二宮は確かにわが藩の者で疑うべき者ではない。また、二宮は尋常の者ではないから、決して軽々しく扱ってはならんぞ。」と告げた。
当時、大久保候は老中であって、その声望は天下に鳴り響いていた。
その使いの報告を聞いて、宿の主はいったんは安心したものの、さきに尊徳先生の怒りをかったことを恐れて、新勝寺の和尚にこれまでのことを相談し、とりなしをお願いした。
 当時の住職の名前を照胤(しょういん)といった。
非常に学識があった。
主の請いを受けて、二宮先生のもとに至って、主の失言をわびた。
先生はにっこりとほほえまれて少しも気にしていないと丁寧に答えられた。

「あなたの心のひろいことは宿にとって幸いである。
 しかし、この宿は大変出入りが激しく、数日の参篭の間、はなはだ静座するのに妨げであろう。本寺に別寮がある。どうじゃな、そちらに移られて静かに修行されては」と和尚は先生に言われ、先生は喜んでその言葉を受け入れた。

○先生は、新勝寺の別寮に移られて、日々朝から晩まで水を浴び、お経を唱え、祈念怠ることがなかった。
 和尚は、間を見て、二宮先生に問うた。
「世に当山に祈願するものを見るに、あるいは自らの病気を治すため、あるいは貧乏を免れようとし、あるいは栄華や利益を願うためにし、あるいは愛欲をみたさんと願い、おおよそその私情私利の欲念のために祈願しないものはない。
 今、私があなたを見るに健康で病気でもない。衣服は粗末だが、貧乏を憂えてのことでもない、栄華利欲を祈るものでもない。言語もしっかりしており、とても危うい道を踏み行って災難に遭遇するとも思えない。心ひろくまっすぐで欲念や怒りをはらすためでもない。
 そもそも何を祈願することがあって、特に当山に来て、食事を絶ち、身を苦しめようとするのか」

 先生はこうおっしゃった。
「わたしは病気があるわけでもない。
 しかしながら幼くして父母の病気にあって不幸にしてはやく父母をなくしてみなしごとなった。その不幸はいかほどか。
 思うに天下に私と不幸を同じくするものが少なくないことを知るゆえに、天下の人の父母たるものが無病健全で子どもが安心して生育できるよう祈願するものである。

 私は今貧乏を憂えるものではない。しかし、極貧の家に成長し、父母の艱難は言葉に尽くしがたいものであった。世の中で貧乏より悲しいものはないということを知った。
 ここをもって天下の貧者をみては、あまねくこれを救済して富者になさしめることを祈願するものである。

 私が生まれた年、天明の大飢饉であった。死者は何万人いたかわからないほど多かった。関東の諸州の死亡がもっとも多く、栃木の芳賀郡の村々が廃亡したのもこの時であると聞いている。
 今、ここの開墾の任務にあたり、飢饉の害ほど大きいものはないことを知る。60年前後に必ず凶荒のときがあると聞いている。あらかじめその備えをなして、天下に飢えた民がないことを祈願するものである。

 私は幼いとき、しばしば洪水にあい、所持の田畑は再三押し流された。その開墾のため、父母の苦労は筆舌につくしがたいものであった。元通りにしようとしても、容易には良田になしえず、数年の労力でやっと復旧しても、このために負債を生じて所有地を売り払うこととなった。一家滅亡したものも我が家だけではない。
 だから天下の水害をこうむって滅亡にいたるものを救助すること、私が自ら我が家をたてなおしたようにならんことを祈願するものである。

 天下にはさまざまな災厄をこうむって、借財を生じて、利息が累増し、元利を償還することができず、家財産を失い、逃亡する者も少なくない。あるいは家老の職にあってぜいたくになれて、負債のため職務を全うできず、厳しく重税をとりたてて国家危急にいたるものも少なくない。
 私はこれがために方法を設け、救い取ろうと祈願する。

 要をもって言えば、禍を転じて福となし、凶を転じて吉となし、借財を変じて無借となし、荒蕪を変じて開田となし、やせ地を変じて肥沃の地となし、衰貧を変じて富栄となし、困窮を変じて安楽となし、おおよそ人民のにくむところを除いて好むところを与えようと日々夜々に祈願するところなり

 わたしは君命を受けて、物井村にいたってよりここに七年、着々これを実地に施した。
しかしながら、民心はいまだにこれを理解せず、土地が開け、人民は豊かになってきて、しかも人心は喜ばず、かえって反抗をこころみ、よこしまな者どもは威力をたくましくして、良民はその志をのべることができない。
 すでに人民の困窮を変じて安楽の道をあたえ、すでに人民の貧を変じて富み栄させ、すでにやせ地を変じて開田とし、借財を幾度となく無借としてきた。しかしながら、人心の凶を変じて吉とすることがなしがたく、国家の禍を福とすることができない。
 どういう理由か、これは人民が私の誠に疑惑があるためである。
私は君命のために国家を復旧の道をたて、民を水火に救おうと欲するだけである。
天地神明いやしくもこの誠心を真実とせなければ、死ぬとも食をとらず、民を水火から救うことができなければ、この身を猛火になげすてよう。
 これが当山に来て祈誓するゆえんである」

 和尚はその誓願に感嘆し、
「あなたの誓願はまさに世を救う法であり、世間の教えの及ぶところではない。
 よくその誓願をたもって動くことがないならば、いかなる天魔や悪鬼の妨げるものあるもついにはどうすることもできないだろう。」
 そして不動経を与えた。

 先生はこの不動経を受持し、朝夕昼夜怠ることなく、毎時ごとに沐浴し、不動尊の前に礼拝し、誓願を唱えた。
 そして、実に21日目に感応があり、次の歌をよんだ。

 身を捨ててここをせんどとつとむれば 月日の数もしらぬなりけり

 心あれば成田の山にこもりなん 石の上にも岩の上にも


☆「二宮尊徳伝」(佐々井信太郎)より

先生の成田山参籠は、報徳仕法の根元を解明することにおいて極めて重要なことである。先生は正月4日江戸に出る以前、しばしば江戸の小田原藩邸に赴いては仕法が停滞している事情を述べ、時には職を辞したいと申し出た。
文政11年4月に「郡奉行(こおりぶぎょう)預役(あずかりやく)被仰付(仰せつけられ)」という辞令を受けたが、5月16日には文右衛門に辞表を持たせて差し出した。
横田村などで豊田正作の妨害でもめたとき、4月15日の日記には
「右地論につき豊田正作初め取締り役共不念至極に存じ候」とあり、
また塚本天神に立願し一応解決した4月の時に天神様へ奉納した額に、
表には、「心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん」の歌を書き、
裏に、「我が前に千日去らずに祈るとも 心邪なれば罰を与えん」とあるように
非常の決心は日一日と堅いものがあって江戸へと向かったのである。
横田村は幕府直轄と桜町領とに別れ、この合領であるために従来からしばしば草刈場の境界争いがあった。
文政11年4月にも11月にもまたこの地論が起こり、先生は東西に走り回って解決したけれども、その地論の影には先生に反対の1,2の活動があったのである。
しかし村役人の大多数は先生に対して信頼を注いでいた。
だから先生が江戸に出る際にも名主の文蔵、円蔵、寸平らを同伴させた。
このときの江戸の状況は判明しないが、報徳記に見える
「常人撫恤(ぶじゅつ)の深意を察せずして小田原侯に訴ふ」という一章中の問題は、この江戸へ出た一件について関係があろうと思われる。
早くから両三輩の詰役の反対もあったが、特に文政10年の夏から一年間にわたって、極度の障害が生じたのである。
小田原侯に訴えたのは誰かわからないが、あるいはかって陣屋詰であった者と、この時の陣屋詰との結託であったであろう。
しかし文政10年5月8日から、服部十郎兵衛は吉野図書に代って江戸賄方となったから、先生の立場は大いに便宜が開かれていた。
特に大久保忠真侯は先生を信頼していたから、先生に対する処分よりも、かえって先生にその真相を聞こうとして先生を召還したのであろう。
問題の焦点は、撫育の方策に関する事柄であって攻撃する者は言う。
「旧来の住民中に困窮する者が多くある。それらの窮民の仕法を後にして、新しく移民を招き、新来の者に特に仁慈を施して一家を立てさせるのは間違っている」
これに対して先生は主張する。
「民家を増やして荒れ地を開くのは新来の移民と2,3男の分家にまつべきである。
新来の民は住宅もなく、田畑もないから、特別の撫育を要する。
在来の民は怠惰であって容易に勤労の精神を起こさない。
たとえば枯れ木のようであって、いくら肥料を与えても活気を失っているようなものである。
だから旧来の汚悪を洗って改心して勤農の道がたつならば、恩恵を施して永続の道を得るだろう。
新来の民は新しい木のようであって、肥料を与えればすぐに生長するものである。」
小田原から出張してきた役人にこのような論議をつくしても、理解が得られない。
ついに金次郎の仕法というのは在来の民を見捨て新来の民に厚いと訴えたのである。
大久保忠真侯は先生を召してこれを質した。
先生は答えた。
「すでに訴えたものに仕法を行わせてください。私は再三君命を受けて再興の任務にあたり、寝食を忘れて従事していますが、事業の半ばでこの訴えがあったのは、私の不幸であるばかりでなく、君の不幸でもあります。ただちに任務を解いてください。」
大久保忠真侯は先生の誠忠を知っているので、積年の苦労をねぎらうとともに訴えでた者を罰しようと言われた。
先生は訴えた者もまた忠をつくそうと思っただけです。これを罰するならば私もまた任を辞しますと答えた。
大久保忠真侯はこの返答に感動して、訴えでた者をさとして許された。
これで問題は一段落を告げたが、先生は仕法が一進一退を免れない根元は何かを考えた。
障害の原因は外にあるが、そもそも自分の誠心誠意が到らないためではないか。もし誤って退いて事業を停止すれば君命に背き、一村は荒廃し、領主も領民もともに苦しむ。
しかし進んで事業を貫徹しようとすれば障害が生じる。障害が生じるには必ず原因がなければならない。
そうであれば私はこの事業に不適任なのか、それとも方策が足らないのか、
適任でないならば私の身命はもはや必要はな、方策が足りないなら方法を見いださねば
それには俗界から離脱したところで静座黙祷するほかはない、
西か東か、川崎の大師堂か、成田の不動堂かなどと熟慮をめぐらしていた。
同伴の村役人は1月20日までに江戸から帰った。
先生も途中まで同行したが、水戸へ行くと単独行動をとった。
ところが23日になっても陣屋に帰る様子が無い。
横田村の忠右衛門は先生を迎えに水戸にいったが、先生の姿は水戸にはなかった。
村役人たちは25日になっても先生の消息が不明であることを憂慮しはじめた。
そこで一同陣屋に集まって協議をこらした。
27日には江戸へ飛脚を出して、状況を照会したが一向に情報は得られない。
殿様の信頼厚い先生の行方不明が小田原侯の耳に入れば詰役も村役人もどんな境遇に陥るかわからない。
一ヵ月後の2月25日までに江戸に出向いた村民は12名に達したが先生の消息はわからなかった。
そして3月18日横山周平以下が陣屋に到着し、同21日に豊田正作は江戸へ召還させられた。
こうして人的障害は取り去られた。
先生の仕法書の中に「川崎大師へも参詣して祈願した」とあり、
正月20日に村役人と別れてから、川崎そのほか祈願所を巡拝して、いかにして村が治まるか静座工夫の地を探って3月中旬に成田に落ちつかれた。
そして成田から善右衛門が3月23日に陣屋に来たことから、公に成田に参籠していることが公表されたのは、17,8日頃であろう。
正月20日から3月中旬まではその行動が全く不明である。・・・
先生は4月8日に陣屋に戻られた。
4月5日に横山周平、村田與平治、弥兵衛、円蔵、忠次、七郎次、藤蔵、岸右衛門などが土浦まで迎えにいった。
日記によれば3月27日に名主の忠次が成田に遣わされた。小路只助が先生に面会した日は日記には見当たらない。
成田から陣屋に帰ってからは、万事極めて順調である。
小田原藩士として小路只助が常詰となり、宇津家より横山周平、村田などがしばしば往来し、村内でも苦情を唱える者は一人もなくなった。
4月23日には、波子夫人が子ども達2人をともなって下物井村に茶摘に行くという和やかさとなった。


☆「二宮尊徳伝」は昭和10年6月10日印刷とある。今から70年近く前のものである。
「正月20日から3月中旬まではその行動が全く不明である。」とあるが、
「尊徳の裾野」に佐々井信太郎氏の子息佐々井典比古氏が「文政12年2月の尊徳」という稿でその間の一端を明らかにされている。

文政12年(1829)の2月といえば、尊徳の行方不明の時期である。
・・・
ところが、この時期の尊徳の心情と行動の一部を明記した資料が、今回、小田原の報徳神社の宝物中から発見された。
しかも尊徳の自筆である。
文政12年2月吉日付けで、母の実家の当主、川久保太兵衛にあてたもので、
表紙に「五常講」、裏表紙に「川窪太兵衛」と記された通い帳式の簿冊に、5ページにわたって書き込まれている。
ここにあらましを現代訳で紹介する。

(佐々井典比古氏現代文訳「尊徳の裾野」269ページより)

このたび、相州足柄下郡曽我別所村の私の母方の在所へ、祖父母の仏参に来て
みたところ、はなはだ困窮して昔の形を失い、まことに嘆かわしい姿になっている。
そこでつらつら考えたのは
いま私はかたじけなくもご城主(大久保忠真侯)の命によって、下野国芳賀(はが)郡東沼村・横田村・物井村、高4146万石余、宇津ハン之助様知行所の復興にあたっている。
享保年中から追々困窮して、文政4年には収納が米1005俵余、畑方金127両余と、わずか1000石相当にしかならず、ご勤仕もできないありさまとなったので、ご本家でも捨てておかれず、村柄取直し・収納復古・百姓相続の仕法を私に仰せ付けられたのだ。
そこで文政5年から赴任したところ、天なるかな時なるかな、人民に勤労意欲が出、田畑開発はあらましでき、風俗も立ち直り、年貢米が1900俵余、畑方はまだ集計しないが、存外の成就をみた。
このように功ある 
この身は、すなわち父母のたまものであって、全くわが身ではなく、父母の陰徳による。
その父母はどうかといえば、祖父母の陰徳があったからだ。
その本が乱れて末の治まるものがないように、
人生、孝行より大事なものはない が、
では、何をしたら孝行になるのか?
このように退転同様になってしまっては、たとえ追善供養をしたところで、いったんの志で仏意を保てるわけがない。
このように信ずるとき、
ふと天の命がわが心中に浮かんだ。

それはほかでもない。
桜町の仕法のように 
家々で子孫が繁盛しているのは、みんなが親を尊んでいることで、それがまた天道への追善供養なのだ。
この身は天から先祖に分身して、また先祖から代々父母に分身して、父母から我へと分身した。
それゆえ、天理にかなうことをしさえすれば、直ちに孝行なのだ。
しかるに川久保家では、代々のうち 奢りが長じ、分を越えて暮らして他人の財宝をむさぼり、天のにくみを受けて、田畑山林家株を天道に取り戻されたのだ。
不思議と子孫男女が息災だが、いのちがあって田畑山林家株財宝衣食を天から受け得たいと願うならば、身をちぢめ、一切七分で暮らし、堅く分限を守り、天下に陰徳を積んで、国家に財宝を施し、人民のために勤めて後、天のお恵みを受けるしかない。

さて、天下の財宝は天下万民の勤行によって生ずる。
万民の勤行は衣食があってできる。
ところが昨年文政11年は、天明の飢饉のような国土一円の凶作で、農民ははなはだ難渋している。
そこで、仏の菩提のため、元金は私が出すから、里から米を買い入れて山家(やまが)へ運び、山家から麦を買い入れて里へ運び、それも一銭も利を取らずに買い入れ値段で売買して、米麦を流通させ、近村隣家の助けになろうと心がけるがよい、
神儒仏の心は一つ。
ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」


この自筆文書はさまざまの新事実を物語ってくれる。
第一に、文政12年2月に、尊徳が帰郷・仏参をしていたこと、
第二に、桜町仕法7年間の実績を「存外の成就」として評価し、「功あるこの身」として胸を張っている様子が見えること。
第三に、尊徳の思想がすでにこの時点で「父母の根元は天地の令命にあり」から「田畑山林は人民の勤耕にあり」まで、驚くほど「報徳訓」の内容に近くなっていたこと、などである。
 以上Gaiaさまのブログより・・・
 二宮尊徳像


成田山新勝寺


  


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2009年07月03日

掛川市の「大日本報徳社」 二宮尊徳

政界が益々混迷を深めています・・・・

 深い霧から・・闇かな・・・  (^^ゞ・・(^^ゞ・・(^^ゞ ♪

そんなんで・・ 破綻した村・藩・財政の建て直しのヒーローと言えば・・・

 二宮金治郎(二宮尊徳)さまですね♪  

あの、薪をせおって読書をしている像。 どこの小学校にも御座いました。

  不思議にも・・小生の子供時代にその像の由来をしっかり教えてくれる先生は一人もいませんでした。

 60年代70年代は唯物思想(無神論・過去の思想・宗教の否定・・)真っ盛りでしたので・・・

  先生方も・・報徳思想なんて無視していたご時勢でしたね。 とほほっ・・ (^_^;)

 で・・・ 静岡県の掛川市にて、「大日本報徳社」の本部があるんですね♪

 小生も、この夏休みに訪問予定で御座います。

 皆さんも、是非ご訪問ください。 


参考:報徳思想の概要


報徳の教え 概要 [編集]

静岡県掛川市の二宮金次郎像報徳の教えとは、二宮尊徳が独学で学んだ神道、仏教、儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵である。神仏儒を究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあってもそれは宗教を意味するものではない。

報徳の教えの中心的概念は大極である。この大極にそった実践を行うということが報徳教の根幹をなす。二宮尊徳はこの大極を三才報徳金毛録のなかで円を描くことによってしめしている。この円を分けることにより、天地、陰陽、などの区別がうまれる。つまり、大極とは、すべてのものが未分化な状態、一種の混沌状態をさす。

大極はつねにそこにあるものであるため、人間が何をしようがつねに大極とともにある。しかしながら、人間は我であるため、つねに大極と何らかの関係をとらなければならない。そこから大極に対して積極的に向かう姿勢である人道と大極に消極的に向かう天道の区別が生まれる。

天道にのみそって生きるとき、我である人間を支配するものを人心とよび、人道にそって生きるとき我を支配するものを道心という。人心は我欲にとらわれたこころであり、欲するばかりで作ることがない。このような心の状態でいる限り人間は豊かになることができない。道心にそった生き方をして始めて人間は人心への囚われから解放され、真の豊かさを実現できるのである。

ここで重要なのは、道心にそった生き方というのが何処までもプラグマチックに説かれているところである。道心は、それが善だからなどの道徳的な理由で選択されるべきものなのではない。報徳教は単に、人心に従えば衰え朽ち、道心に従えば栄えるという道理を説くに過ぎないのである。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


以下は、報徳思想実践者の主な財界人・・

安田善次郎
鈴木藤三郎
御木本幸吉
豊田佐吉
松下幸之助
渋沢栄一
土光敏夫
・・・・などなど多数




年譜や交友・縁の逢った人々など・・より詳細はGAIAさまのブログにて・・。

大日本報徳社の住所など・・
大日本報徳社
静岡県掛川市掛川1176番地。
開館時間■9:00~16:00
休館日■土・日・祝日、年末年始(12/28~1/4)等
入館料■無料




以下はクリックリンクです♪ご参考に・・・。
  • 石黒忠篤
  • 一木喜徳郎
  • 岡田良一郎
  • 岡田良平
  • 河井彌八
  • 渋沢栄一
  • 榛村純一
  • 竹山祐太郎
  • 土光敏夫
  • 二宮尊徳
  • 松下幸之助
  • 三戸岡道夫
  • 安田善次郎

  •    


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    2009年06月13日

    ドラム缶風呂と蛍狩り・・興津川上流にて・・

    静岡ファミリーキャンプィングクラブ・SHFCCの6月例会にて・・。

    ドラム缶風呂は,野趣が有り子供たちが大喜びでした♪

    今回は、娘の小学校の運動会が雨のため日曜日になっちゃいまして・・残念・・・

    急遽・・キャンプから深夜に帰宅へ・・・・とほほっ 



















    もっと詳しいキャンプの詳細は・・・

    これなんらさんのビジネスで日本を良くしよう♪へアクセスで・・♡

    蛍狩りは・・・そんなんで・・次回に持越しでした・・・。  


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    2009年05月01日

    GWのお祭り・イベントピックアップで~す♪(静岡編)

     GW真っ盛り♪ しかし、ちと不安もありですが・・・。

    以下、静岡県内のイベント情報で有名な

     静岡新聞社アットエス編集室さんからのイベントリンク集です♪

     沢山有って、迷いますが・・注目を集めました♪

    ※クリックして、詳細をご覧下さい。
     GWイベント情報ピックアップ

    流鏑馬(やぶさめ)まつり5月4日(月・祝)~6日(水・振休) 富士宮市
    流鏑馬
    5日の本祭では、境内桜の馬場にて鎌倉武士の狩り装束のいでたちで、勇壮な小笠原流流鏑馬式が行われます


    <伊豆・東部地方>
    初島ところ天まつり 1日(金)~5月5日(火・祝)熱海市
    ツルッとした喉ごしのところてんを味わおう!
    みかんの花香り体験 3日(日・祝)沼津市
    みかんの花の香りに満ちた会場で楽しいイベント盛りだくさん
    小山町金太郎春まつり 3日(日・祝)小山町
    金太郎誕生の地で綱引きや相撲
    冨知六所 浅間神社例大祭 3日(日・祝)富士市
    小鳥居をくぐり「生まれる」「厄除け」にご利益
    第29回水産祭 4日(月・祝)東伊豆町
    大漁旗で飾り付け 水揚げされたばかりの水産物が並ぶ
    弓ケ浜フェスタ2009 4日(月・祝)南伊豆町
    海で地引き網や乗馬を楽しもう!
    ワイワイわんぱく源平合戦 5日(火・祝)富士市
    歴史にちなんだゲームでアソボ!紙かぶとで「源平合戦」!




    <中部地方>
    美術館でお茶を 2日(土)~6日(水・振休)静岡市駿河区
    美術鑑賞と一緒に新茶を楽しんで
    由比桜えびまつり 3日(日・祝)静岡市清水区
    由比特産品のサクラエビや生シラス 獲れたてが味わえる
    春の焼津さかなセンター祭 3日(日・祝)、4日(月・祝)焼津市
    名物鍋、初ガツオの試食にミニセリ市など盛りだくさん!
    日本平五月まつり 3日(日・祝)~5日(火・祝)静岡市清水区
    新緑まぶしい日本平へ!矢倉太鼓の披露、試食など
    さがら観光祭り さがら凧あげ大会 4日(月・祝)、5日(火・祝)牧之原市 江戸時代から約300年の歴史、伝統と妙技の凧合戦!







    <西部地方>
    掛川戦国城下市 2日(土)~3日(日・祝)掛川市
    物産市、子どもミニ武者行列、掛川特産のバラをプレゼント
    わんぱくフェスティバル 3日(日・祝)浜松市北区
    五月晴れの下、多彩な催しを楽しんで
    御前埼灯台まつり2009 3日(日・祝)~5日(火・祝)御前崎市
    御前埼灯台を知ろう!歴史文化を伝承保存
    なぶら市場大感謝祭 3日(日・祝)~5日(火・祝)御前崎市
    毎朝8時半から「勝手に値引き券」配布!
    浜北大凧まつり 4日(月・祝)、5日(火・祝)浜松市浜北区
    大空に大凧が舞い上がる!
    エコパレクスポフェスタ 5日(火・祝)、6日(水・振休)袋井市
    気軽にスポーツ!【イベントによっては要申込】



    ※イベントは中止や変更になる場合がありますので、主催者へご確認ください。

    以上、   お気をつけて、行ってらっしゃいませ♪  


    Posted by いすころりんこ at 08:10Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年04月16日

    ふじブログ村にて

    地元(富士市)のブロガー仲間の集い♪ 

    ふじブログ村に参加いたしました。

    ふじログnetのこれなんら様のご紹介で、有難う御座いました。

    15日 6時半から 蓼原のM-netパソコンスクールにて・・

    な・なんと♪ 20人ほどでしょうか?お集まりになりました。

    以下の写真はイーラ・パークの 川口さんのブログの個性化(カスタムプラグイン)とか、
    トラックバックの構造など・・

    なかなか、他では聞けない説明を受け、皆、真剣に聞き入っていました♪

    イーラ・神南さんも有難う御座いました。





















    ☆ ブログ裏技の世界もできたら・・ 影のブログ村でしょうか!?
      Google検索でトップを独占!なんて・・へへへっ

      期待してますが・・・。  
     

    以下は地域おこしに熱い情熱の

     これなんらさんのご紹介です。

    ビジネスで日本を良くしよう! 地方から日本を元気にするビジネスを創業!
    地域ホームページ 富士山士山周辺地域に貢献します。  ⇒ 



    以上、沢山のご参加の皆様のご紹介もしたいのですが・・。

    今回は、多すぎて・・すいません。

    いすころりんこ・でした。




      


    Posted by いすころりんこ at 09:11Comments(2)お気に入り情報・地元編

    2009年04月15日

    創業者の生誕地は・・(豊田佐吉翁と本田宗一郎)

    GMが破産不可避で国有化とか分割案が出ている今日この頃ですね。

    世界一の製造業の雄として・・世界最強の国アメリカの象徴でしたが・・

     破産です。倒産です。(実際は去年の11月には破綻していましたが・・。)

    あの、天下の企業のジェレラルモータース(GM)が・・。そういえばアメリカの金融証券貿易の象徴たる
    ツインタワー(貿易センタービル)も今は跡形もありません!

    21世紀は完全に世界のアメリカ支配が幕引きに入ったという事でしょうか!?

    近代産業革命(自動車)と資本主義の申し子(金融)がこの数年で・・・。崩れてきています。

    すごい崩壊時代の到来ですね。

    そんで・・前書きがちと、長すぎましたが・・・・。

    やはり創業者に帰れでしょうか?

    豊田佐吉翁↓↓ 湖西市にて






    本田宗一郎↓↓ 浜松市天竜二俣にて








      


    Posted by いすころりんこ at 16:20Comments(2)お気に入り情報・地元編

    2009年04月13日

    浜名湖渚園にてキャンプと潮干狩り♪

    4月11日から浜名湖渚園(弁天島)市営キャンプ場にて一泊♪

    日中は20度を超える暖かさ(暑さ)でしたが・・夜朝は少々冷えました。

    翌日は、潮干狩りであさり取りをいたしました。(詳細は近日中にて・・先ずは写真です。)



























      


    Posted by いすころりんこ at 08:16Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年04月06日

    桜満開でした。

    富士市厚原地区の桜の名所!

    残念ながら・・富士山はかくれていましたが・・。

    潤井川が急流から丁度平地に流れ下る所です。 
    富士山の溶岩がむき出しの川底のある所ですね。

    ここの桜は(ソメイヨシノ)大木で、花が枝を隠す程の満開でチョー有名ですね。























    ほぼ、例年どおりですが・・、去年の方が凄かった様ですね。

    しかし、それども、鈴なりの桜花! 香りも薫風にて・・流石です。























    桜は開花時に大量の水を使いますから・・ここの豊かな清水は丁度良いのでしょうね。

    いすころりんこでした。  


    Posted by いすころりんこ at 09:19Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年04月03日

    桜が今週末満開へ 静岡の名所情報!


    桜開花情報(静岡) 2009年4月2日 17時0分発表

    ※見ごろスポット(クリックするとリンクへ飛びます。天気情報さまへ)

    ★ 数日前に、大風が吹きましたが・・皆五分咲き前でしたので・・

     ほとんど影響有りませんでした。ラッキー♪です。 しかし、土日(4日・5日)はお天気崩れそうです。

    狙い目は、本日(金)の夜桜でしょうか♪  夜9時までのスポットが多いため 早めに行ってくださいね。

    では、皆様♪ 束の間の桜天国をご堪能ください。  いすころりんこ・でした。





      


    Posted by いすころりんこ at 10:23Comments(4)お気に入り情報・地元編

    2009年03月23日

    サントムーン(清水町)にて

    清水町のサントムーンに行ってまいりました。(昨年2008年11月ごろ改装大オープン)

    一階はショップを中心に二階はアミューズ・ボウリング。別棟に映画館などのコンプレックス!

    広い広い! 目的は田村氏のオブジェです♪

    写真でイメージは持っていましたが・・実際は巨大でした!

    子供が前に立っていますので・・イメージが掴めると思います・・・。


    ↓以下はクリックすると拡大いたします。
    じゃんぼエンチョウさんのすぐ近くの広場にて・・・。

    右奥がエンチョウさんの入り口です。

    でか~いです。 3メーターは有るでしょうか・・。

    スピード感が有りますね。

     楽しい雰囲気ですね。 

    正面玄関に入ったら直ぐですね。
    大きいですね。 わくわく感が有ります。

    小生のPicasaのウエブアルバムにてもっときれいな写真を見ることが可能です♪
    ↓以下をご参照ください。 よろしくね♪写真をクリックしてね・・・。
    090322

    スライドショーも見れますよ♪ ピカサはどんどん進歩しています。  


    Posted by いすころりんこ at 17:34Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年03月13日

    太陽のカフェの着けナポリタン

    富士市のつけナポリタンがすっご~い♪盛り上がり!

     百花繚乱で各店揃い踏みで~。

    ブログのアップもめちゃ! ふえてま~す♪ で~・・

    小生もそれにつられて・・・ 太陽のカフェにてランチしちゃいました♪

    勿論! つけナポリタンとサンデ~ぶゅっふぇ(ブュッフェ)♪

    太陽のカフェ 富士店
    住所 〒417-0057
    静岡県富士市瓜島町105-1
    営業時間 10:00~23:00
    定休日 年中無休

    で~お味はちょ~そうめんみたいなパスタで~

    アサリがたっぷりのソース!が絶品で、 おいしかったです♪

    因みにサラダが付いて・・¥980円 + サンデー食い放題¥440円

    ちと・・よさんお~ば~っ ! まっいいかっ・・町おこしになれば・・・

    なんのか~っ?  友もサンデー馬鹿食いしちゃいました。

     めたぼ~っじゃっ !

      サンデ~ブッフェは3杯もお代わり♪ 4杯行きそうでしたが・・

    し~までんでした・・・・

    いすころりんこでした。


      


    Posted by いすころりんこ at 17:49Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年03月08日

    有機農法の茶農家 2

    富士宮市の有機栽培30年以上の茶農家のご紹介。

    ☆安全・安心・健康のおいしいお茶は地元富士山周辺にて・・・

    佐野製茶さまです。

    仲の良いご夫婦で、生産加工を全て、自社でされていらっしゃいます。

    有機培養した、堆肥も動物性は使わないという、凄いこだわりのご主人でした。























    以下は、多彩な商品群のほんの一部です。

    奥様が供してくださいました、ほうじ茶がまた香りが豊かで・・感動いたしました。

    お値段も、びっくりするほど良心的で・・20年ほど値上げせず、据え置き価格でご提供中です。























    ・ 販売業者

     佐野製茶:   佐野元彦
    ・ 郵便番号  418-0114
    ・ 住所  静岡県富士宮市下条1705
    ・ 電話番号  0544-58-0188
    ・ 公開メールアドレス: shop@sanoseicha.shop-pro.jp
    ・ ホームページアドレス: http://sanoseicha.shop-pro.jp

      

    Posted by いすころりんこ at 16:37Comments(2)お気に入り情報・地元編

    2009年03月03日

    田村先生とリリーちゃん♪

    田村先生とこのオブジェ(tam-tam cube)リリーちゃん♪

     ☆先生のお母さまのご出身の富士市と深いご縁で・・

      その辺のインスピレーションからでしょうか・・

        このリリーちゃんは富士市滞在中に発案されたそうです♪





















    可愛いですし・・華麗・繊細!  

    今後の作風を表されている様ですね!(因みに等身大サイズです。)
     
    大注目です!  ホント!
      



    Posted by いすころりんこ at 18:42Comments(4)お気に入り情報・地元編

    2009年02月18日

    河津桜が満開富士にて

     富士市の米の宮浅間神社の北にて、河津桜が満開です。


    本家本元の伊豆の河津町の河津桜はすでの終わり葉桜になってきているそうです。

    本年は一週間は早いでしょうか。 

    600本のソメイヨシノと200本の山桜で有名な! 
    静岡市の蒲原地区の御殿山の桜(ソメイヨシノ)も今年は、早くなりそうですね。ご注意を!

    いすころりんこでした。  


    Posted by いすころりんこ at 20:03Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年02月15日

    富士山こどもの国にて・・雪の丘・・

    最近急に暖かくなって来ましたね♪
    そりすべりがしたいという、娘の願いで・・多分本年最後の雪遊びでしょう♪

    夕方には雄大な富士山が全景お出ましになりました。感謝 ♪

    富士山こどもの国

    いすころりんこでした。  


    Posted by いすころりんこ at 22:17Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年02月15日

     獅子浜から淡島を望む・・

    小生の32歳で早世した伯父さんのご縁か・・・

    ここ、沼津の獅子浜にて現在、仕事にてご縁があり・・

    ちと、昔に思いを馳せました。























    淡島マリンパーク三津水族館~西浦~大瀬崎井田・・・

    小生のお勧めは・・井田(イタ)ですね。大瀬崎のすぐ南の小集落。 富士山絶景のポイントで~す。

    これから、暖かくなると半日観光コースとしても、最高ですね♪

    いすころりんこでした。
      


    Posted by いすころりんこ at 12:07Comments(0)お気に入り情報・地元編

    2009年02月02日

    田村さんのアート・・続き

    昨日の超有名な・・田村映二先生の作品のつづきです♪

    携帯のカメラで・・すいません・・ちょっとピントが・・。

    ファンタジックな香りが・・将に田村ワールド満載 ♪

    こども目線でかいま見た・・世界を満喫 ♪ (子供に還る・・世界観・・)























    ちんちん電車・・・ 箱から足まで・・全てこだわり満載・・・。すごっ ♪


















    実物は大きい大作です。  豆電球がいいです。ホントに・・







    右はぞうさんで~  子供になってしまいます~。























     オルゴールの作品。 音と動きが益々・・夢の世界へ・・・。









     ☆ 立体作品です。大型化の元作品ですか・・・

        楽しさ満載ですね  ♪























     ☆街角の動きが有り、 雑誌の表紙写真で、有名。














     ☆南国のバカンスをイメージ 。

        バナナが いいですね♪











     ぬくもりが・・  先生のあったかい人柄が作品にでてますね~ ♪









     ☆街角もホントたのしそう ♪

    以上。  
     いすころりんこでした。


       


    Posted by いすころりんこ at 17:48Comments(0)お気に入り情報・地元編